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トメアスにもたらされたコショウの苗木は、全部で20本。1933年に移民監督官としてアマゾンに赴任した南米拓殖職員の臼井牧之助さんが、たまたま寄港したシンガポールで購入してきたものだった。そのうち無事に根づいたわずか2本の苗木から、入植地にコショウの栽培が広がった。折も折、第2次世界大戦で戦場と化した南アジア・東南アジアの産地が壊滅状態となったために、世界市場におけるコショウの価値が急騰。新興産地であるトメアスが一躍注目を集めることとなった。

戦後、需要の伸びに伴って高値で取引されたコショウを人々は「黒ダイヤ」と呼び、トメアスは空前の「ピメンタ景気」にわいた。農園主たちは先を争うように数万本、十万本という単位で苗を植えて栽培規模を拡大。1938年にはわずか70キロだった地域の農業組合のコショウの生産量は、1953年に650トン、1968年には5700トンと飛躍的な伸びをみせた。敗戦後の日本からの移住者受け入れも始まり、多くの戦後移民がブラジルでの成功を夢みて渡航。過酷な労働に耐えながら、アマゾン地域のコショウ生産を支えた。

ところが1960年代後半になると、フザリウム菌による病害が急速に広がりだした。たった2本の苗木から出発したトメアスのコショウ農園では、いったん病気が発生すると2〜3年で次々にコショウが枯れ、畑ごと全滅してしまう。さらに深刻な水害や価格の下落も追い討ちをかけ、コショウ栽培は大打撃を受けた。

そんな苦しみのどん底からも、新たな希望の光が見えてきた。熱帯の自然と調和をめざす森林農業「アグロフォレストリー」への取り組みだ。日系農家が1970年代から始めたこの取り組みは、今では持続可能な農業システムとして広く注目されている。

アグロフォレストリーでは農業と林業を有機的に組み合わせ、土地を複合的に利用する。まず、コショウ、米、豆などすぐに収穫できる作物を育て、3年後あたりからカカオやゴムのほか、アサイ、アセロラ、クプアスなどの熱帯果樹、高級材のマホガニーといった樹木も植える。5年もするとコショウは病気で枯れてしまうが、単一栽培と違い、他の有用樹木からの収益で暮らしていける。こして別の場所にコショウを植えて、次の循環が始まるという仕組みだ。

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